瞳に銀河

【1】

「あら、ギンガとスバルは?」
ここは本局技術局の第四技術部、スバルとギンガが過ごしている一室である。
「中庭で遊んでますよ。ほら。」
スバルたちの行動データを処理していたマリー技師が、目線で窓の外を指し示す。
窓際に近寄り、中庭を見下ろすと、スバルが逃げ回るギンガの後を追いかけている。
追いかけっこでもしているのだろうか。
スバルは必死にギンガについて行っているが、ギンガはそれをからかうように、追いつくギリギリでひらりとかわし、スバルを惑わしている。
「局内で遊んじゃダメって叱ってからは、ちゃんと中庭で遊んでますよ。」
「すっかり元気になったみたいね。」
「はい、スバルちゃんもやっと歩けるようになりましたし。」
「ええ…。」

クイントはギンガたちの救出時の事を思い出す。
戦闘機人の研究施設に突入をしたとき、ちょうどギンガの機体の最終調整が終わり、人格調整の一歩手前の段階だった。
機体の調整を終えていたことで、ギンガの救出後の経過に関しては特に問題が無かったが、対してスバルは違った。
そのときスバルはまだ機体の調整が完了しておらず、その機体は不完全なまま救出されたのである。

そして最悪なことに、研究施設内の戦闘機人に関する資料は捜査隊の突入が感知された時点で、消去されるよう、周到に準備されていた。
生体ポッド内で機械と人の肉体の拒否反応の調整作業中だったスバルも、生体ポッドの機能を強制停止された。
機械の身体と人の身体との融合も不十分、そして機体の調整も完了していないスバルは、眼も見えず、耳も聞こえない、
触れても感じることのできない、いわば心と体の乖離した状態にあった。

「どうにかならないの?!」
自分の不手際と知りつつも、語気が荒くなってしまうのは焦りのせいか。同行していた医療班も無言で首を振る。
戦闘機人の技術は新暦以降は禁忌の技術とされ、公には研究することさえ許されておらず、その知識は失われて久しい。
医療班も人の肉体の対処は知れども、機人に関する知識は素人同然だった。
「バイタル、低下。意識レベルも微弱…。」
全ての手がかりを失った中、生体反応を急激に低下させてゆくスバル。
歯噛みするクイント、だが時間だけが無情に過ぎてゆく。

「あの…」
そのとき、クイント達は呼びかけに気づく。
か細いが、確かにクイントの背後からその声は聞こえた。
裸体をクイントの着ていたコートにくるまれた、今回の任務で救出ができたもうひとりの少女。

後に判明したことだが戦闘機人は、あらかじめその容姿に似合わぬほどの知識を記憶させられているという。
一般教養はもちろん、文科学、魔法に関わる自然科学の領域に至るまで、そして自分の身体のことも。
戦闘機人として起動の直後にあったギンガはスバルがどのような状況にあるのかを把握していた。そしてその対策に関しても。

「いける?」
「やってみせますよ。」
ギンガの申し出に縋る思いで、ギンガの調整プログラムをスバルと同調させる。もう、これしか望みはない。
ギンガの背に露出していたジャックとスバルのそれを結合させる。一瞬苦痛に貌をゆがめるギンガ。
だがそれと同時に、スバルのバイタルが復調の兆しを見せた。ギンガはいま、二人分の身体の面倒を見ていることになり、
自動的に生命維持のスリープモードに入ったようである。
クイントと医療班はほっと胸をなで下ろす。最悪の事態は免れたのだ。

だが、全てが初めからうまくいくわけではなかった。
というのは、調整プログラムは元来、個別に用意されるもので、全てがスバルに適合するわけではない。。
スバルの生命維持装置として機能したギンガはかなりの時間をスバルと繋がったまま過ごした。
まだ充分に身体を動かすことの出来ないスバルは継続してギンガの機体制御機能に依存せざるを得なかったのである。
機体の制御プログラムの解析と、スバルの個人特性を確認しつつ再調整をはかる、人でいうならリハビリのような過程を経て、
それぞれが独立した起動が可能になるまで、二人はまさに一心同体の呈で過ごしたのである。

「まるで、本当の姉妹みたいですよね…。」
どのくらい物思いに耽っていたのだろう。マリーに声を掛けられてクイントは現実に心を戻した。
「そうね…。」
姉妹。
このまま、保護者として誰かが名乗り出たとしても、きっとギンガとスバルは離ればなれになってしまうことだろう。
その生い立ちから二人は一緒にいた方が良いのだが、一度に養子を二人も受け入れるケースはまれだ。
ただでさえ、養子はその受け入れ先が極端に少ないの実情のところ、機人であるという彼女らを引き取る可能性も薄い。
ただ機人であるという理由だけでその人生の選択肢を縛られるのはあまりにも不憫にすぎる。
彼女たちがただ違うのはその身が機械であるというだけで、他は何も変わらない少女であることは、目前の姿から明らかだ。

中庭のギンガ達にふたたび目をやれば、ちょうど勢い余ってスバルが転ぶところだった。
僅かに泣きそうなスバルに気づいたギンガはその手を取り、立ち上がらせる。

「スバルー!あんまり無茶しちゃダメよー!」
とクイントは声を掛けた。
その声を受けて、満面の笑みを返すスバル。
彼女たちは救出されて以来、たびたび様子を見に来るクイントに懐いていた。

隣にいたマリーがくすくすと微笑んでいる。
「クイントさん。まるでお母さんみたいですね。」
「え…。」
言われるまでそんなこと思ってもいなかったが、なぜだか否定する感情も沸かなかった。
今まで事件に関わった子供達、としか見ていなかったが…。マリーの言葉に唐突に思い知らされる。
彼女たち姉妹に欠落している親の存在、そしてクイント達、ナカジマ夫妻の現状に。
クイントには伴侶がいる。ゲンヤ・ナカジマという、同じ管理局員として任務を重ねるうちに惹かれ合った。
ふたりとも、まあ、それなりの努力はしたのだけれども、原因は不明なまま長らく子供に恵まれていなかった。
ゲンヤとの間に子が生まれなかったことに、悩んでいなかったわけではない。
その思いを断ち切る意味でも、任務に没頭していた節もあったのは事実だ。
任務上の関係者にいちいち感情移入していては、仕事が立ちゆかないのも解ってはいる。
だが、ギンガとスバルに過剰なまでの接触を試みたのはなぜだろうか。
知らず知らずのうちに彼女の中に芽生えた感情があったからではないか…。
そんな思いと現状を照らし合わせて導き出された結論は一つだった。

それから数日、クイントは熟考のすえ、ゲンヤに二人を引き取りたいと打ち明ける。
その話をしている間、ゲンヤはクイントの目を見据えて話を聞いていた。
既に事件の話は聞いていたし、たびたびスバルとギンガに会いに行っていることも知っていたゲンヤ。
二人の話をするときのクイントは、そう、まるで我が子の成長を語るかのように慈しみを込めて語る。
当時の彼女に母となるつもりはまだなかったようだが、ゲンヤはこのことを予感していたのかもしれない。
驚きの表情はさほどみせなかった。
ただ一言、「俺も二人に会ってみたかったんだ」とだけ、クイントに伝えたのみである。

「似てるでしょう?私に。」
と紹介を受けたとき、すでにスバルはしっかとクイントのスカートを握りしめ、離そうとはしていなかった。
ギンガはそれを横目で見つつも、甘えるのが恥ずかしそうに、けれど甘えたそうな表情でたたずんでいる。
「…そうだな。」
なんだ、もう俺の意見など挟み込む余地はないほどに、懐かれてんじゃねぇかよ、と心中で苦笑する。
ゲンヤは不思議なほどにその三人の姿を受け入れた。かつて夢想した、クイントとその子供達の姿を重ねて。
(似合い過ぎるほどに、似合ってるじゃねぇか。こりゃ、お父さんとして入り込むのが酷だぜ。クイント。)とさらに苦笑する。
我が子に恵まれることのなかったナカジマ夫妻にとって、きっとこれは天からの授かり物に違いないと思えた。


【2】
ナカジマ家の養子となってから数年が過ぎた。
機人としてのメンテナンスはその技術協力という形で良好に進行していた。
倫理的な問題も議論されたが、すでに存在している命をないがしろにすることはできないとの意見が大半を占め、
彼女らの成長に合わせてメインフレームの交換や各部の改良を行っていくことが決定したのである。
機人としての彼女らの拘束はその程度。あとは、ナカジマ夫妻の希望もあり、彼女らはごく普通の少女として育てられることになる。

「スバル!もういっちゃうわよ!」
「まーってーギンねえ〜!」
「もう、ちゃんと早くに寝ないからこうなるのよ!」
「だぁってー」
「だってじゃないの。ほら、ちゃんと服着て!寝癖直して!もう…女の子なんだから…。」
そんな様子を微笑ましく見守る、ナカジマ夫妻。
任務でそれぞれ家を空けがちなナカジマ夫妻ではあったが、極力同じ時を過ごすように努力していた。
ギンガはその辺りの事情は理解しているようだが、まだ甘えたい盛りのスバルはたまに不満を漏らす。
だが、その不満さえもナカジマ夫妻にとっては喜ばしい。スバルが皆と共にありたいと思っている証だからだ。
今日はそんな二人の不満を解消すべく、一日限りではあるが、ミッド郊外の温泉地までの小旅行。
その出発前のひとときである。

先を行くギンガ達の背を眺めながらギン屋は思わず言葉を漏らした。
「大きくなったよなァ…。」
「ええ、もうあっという間に…。」
確かに容姿も歳相応に大きくなったのだが、どうにもスバルが手を焼かせる。
ギンガがそのフォローに回っているが、どうにもやんちゃなそぶりは直らない。
出来の悪い子ほど可愛いものだというが…正しくそうだなと思うのは、単に親馬鹿なだけだろうか?
だからといってギンガが可愛くないわけでもない。良く気が利く、おとなしいが、利発な子に育ったことに満足もしている。
結局どちらも可愛い…親馬鹿の典型ではないか。と考えていると、クイントがゲンヤを見つめていた。
眼を交わして、お互い同じようなことを考えていたのかと通ずると、二人は笑い出した。

「おかーさんのお胸おっきーね。どうして?」
突然スバルがそんなことを言い出した。三人で湯船につかり、一息吐いた頃である。
クイントは一瞬だけ不意を突かれたようだが、すぐにニヤリと笑い、
「あー、それはおとーさんがね、よーく揉んでくれてるからよー!」
と、スバルの胸を撫で始める。
まだかすかなふくらみさえも見られぬその身体は、まだまだ女の身体ではない。
「きゃーくすぐったーい」
「母さん…あの、恥ずかしい…。」
ギンガは母の発言がどういう意味なのか知っているのか、制止しようとするが、
どうにも勢いづいた二人には敵わないのはいつものことだった。

そして独りゲンヤは仕切り越しに、そんな様子を聞いて、吹き出した。
(なっ、なんてことを…。)
確かに娘が二人できたからといって、夫婦の営みがとぎれたわけでは無かったが…。
誰が見ているわけでもなく、頬を赤らめるゲンヤ。このままではのぼせてしまう。
湯船から這い出て、空を見上げる。抜けるような高き高きその空を見上げて、
それでも、ずっと、こんな時が続けばいいと、願わざるを居られなかった。

旅行からの帰り道、クイントの視線の脇にに突然がディスプレィが表示される。
「お休みのところ、申し訳ありません。」
「緊急にお越しいただきたい事態が発生いたしました。例の事件で動きが。」
例の事件、と聞いたときに、表情に固いものが伺えたのはゲンヤだけだった。
ちらと、ゲンヤの様子を伺うクイント。だが、オペレータは無言でその様子を否定する。
「此処では話せないわよね…。」
「5分後に転送ポートを開きます。ご準備をお願いいたします。」
ふう…とため息をつく。
「ギンガ・スバル」
「仲良くね。お母さんすぐに帰ってくるから。」
ギンガとスバルを両腕に抱きしめ、それぞれの頬にキスを交わす。
「ゲンヤさん。二人を…よろしくお願いします。」
「おう、任せろ。後のことは心配すんな。」
しかし、ゲンヤは違和感を覚えた。柄にもないじゃないか。そんな…別れのような台詞を吐くなんて。
「ちゃんと帰ってくるんだぜ…。」
思わず、そんなことを口走ってしまう。
「あったりまえよ!」
湿った場の空気を吹き飛ばすように、クイントは答える。

転送ポートが生成され、そこに一歩足を踏み入れる。
転送開始の合図をオペレータに伝えると、彼女の足下から徐々に転送が始まる。
消えゆくクイントは最後の最後まで、ゲンヤたちから眼をそらさずに光と消えた。

【3】
棺に収まり、穏やかな表情を浮かべる妻の姿を見て、綺麗だな、と思った。
こんなにも綺麗なのに、彼女はもういないという事実を、まだ受け入れることができない。

妻との別れを終えてから翌日、ゲンヤは管理局本局を訪れていた。
廊下ですれ違う局員はその姿に思わず道を開けたという。
荒々しく監察医室のドアを開けるゲンヤ。
「邪魔するぜ。インテグラ。」
「ん…、ゲンヤか…。」
インテグラはゲンヤと同期の監察官である。今回、クイントの事件の調査に関わった人物のひとりで、

「わかってるだろ。ここに来た理由は。」
単刀直入に切り出すゲンヤ。
「お前こそ、わかってるんだろうな。今、ここに来ることの意味が。」
その眼にはそんなものは覚悟の上だ、との意志が見て取れる。ため息をひとつ吐き、
「見たんだろ。検案書を。あの通りだよ。」
「腑に落ちねェな。」
即座にゲンヤは答えた。
彼女の死因は心機能不全だという。それは原因不明にもひとしい死因である。
そして彼女の貌には苦しんだような様子が見られなかった。
いや、その表情を整えた様子が見られなかったというべきか。死化粧さえもいらぬほどに。
つまり…彼女は、笑って、死んだのでは無いかという疑念だった。

「…思ってのとおりさ。」
「夢…いや、幻でも見るかのように、笑って逝ったんだろうよ。ゆっくりと苦しみに気づかぬように。」
「そんなことが、あり得るのかよ…。」
「そうとしか説明がつかねぇんだ。ただ、普通…じゃねぇのは確かだな。」
幻を見るかのように、クイントは逝ったのだと。彼女は死の間際に何を視たのだろう。
語り終えたインテグラは、言葉もないゲンヤを横目で見つつ、煙草に火を点ける。
深く吸い込んだ後に、ため息ともつかぬふうで紫煙を吐く。
「ここから先は片道切符だ。」
「…。」
「乗るのか乗らないのか?」
無言で頷くゲンヤ。さも当然であるかのように。

「現場の気体組成サンプルを分析したものだが…。」
気体サンプルの分析は事件に魔導師が関与したかどうかを調べるためによく使われる手段である。
魔法を行使した場合、その場には魔法要素の拡散が見られる。その濃度や性質から、犯人特定の糸口を見つけることは捜査の手順の一つだ。
ひととおり、ゲンヤが資料に関して眼を通すのを確認した後、インテグラは言葉を繋ぐ。
「魔法要素として反応が検出されたのは、ゲンヤ、あんたの…その、クイントさんのものだけだったよ。」
非合法の魔導師を除き、ほぼ全ての魔導師はその魔力特性の登録を受ける。それは指紋のように個人を特定可能な要素。

魔法使いが、常人に殺められることはまず無いと言える。
旧暦以降禁じられている、拳銃や狙撃銃の類を使われたのならばともかく、クイントの身体にはそのような外傷は無かったと言うことなのだから。
「じゃあ誰が!」
魔導師に殺められたのではない、では誰がクイントを殺したのか。

「焦るんじゃねぇよ。此処よく見てみろ。」
僅かに気体分布に偏りがある部分が見て取れる。
「微少にウィルスのようなものが…検出されてるだろ。気になってもう少し調べてみたんだが…。当たりだったよ。技術局にも確認済みだ。」
「これに近しいものを挙げるとするなら、ナノマシン。まぁこういっちゃ何だが、ゲンヤの娘たちにも使われてる技術だ。」
「戦闘…機人…?」
「恐らくな。」
と、語り終えると資料に煙草で火を点した。
みるみるうちに焼け落ちた一枚の紙片は、灰となって、四散する。

「監察官長に言われたのよ。この件は無かったことにしとけってな。」
その言葉が意味するものは、今回の事件に、管理局内部の何者かが関わっていることを示している。
「言ってみれば、お前がここに来ること。それ自体もうヤバいんだがね。」
と自嘲気味に話す。

クイントは戦闘機人の、知ってはいけないことを知ってしまったのか。それとも過去からの復讐なのか。
ギンガとスバルを救い出したこと、そして我が子として共にあったことが、彼女を死に至らしめたのか。
それは、いまは、わからない。
「恐らく、お前も何者かの監視下に入るだろう。」
「ま、これを話した俺も、いつやられるかわかったもんじゃねぇがな…。しばらくはおとなしく…。」
煙草はすでに灰となり、それに気づいたインテグラはふたたび新たな煙草を火を点す。
そのとき、ちらりとゲンヤの様子を伺い、インテグラは背筋を冷やす。
とても穏やかな怒りを秘めた、ひとりの男がいた。そして、その表情には薄い笑みが含まれているようにも思える。
絶望と希望の交錯するところにいる者の貌だった。

だが、クイントの言葉を思い出す。お互いが時空管理局に勤めている現状では、どちらかが、命を先に落とす可能性というものは覚悟していた。
だから二人で約束した。生き残った方が、二人をちゃんと育てる、と。命を賭けて真実を追って、そしてゲンヤも命を落とせばギンガたちはどうなる。
それこそ、クイントのもっとも望まなかった未来ではないか。

「ああ…そうだな。」
口ではそう答えても、いくぶんまだ気持ちの昂ぶりを押さえきれない。
(やりようはいくらでもあるさ…。必ず、見つけ出す。
決意を胸に、ゲンヤは一歩、足を踏み出した。

(後編に続く)