ナイトウィザードについてのやりとり

現在一緒にナイトウィザードのセッションをやってるPCからのメールに対する俺の返信。メモとして。
自由度と面白さについて…の話かな。

なんか学生の頃にやってたTRPG論争みてーな雰囲気だけど(笑)


チワス。■■です。

GMの思い通りにすること=PCの自由意志を阻害することといったつもりはありません。

正確に言うとGMの恥ずかしいエゴを吐露することになるのですが、それを言わせる●●さんはマゾですか?(笑)
わかってやってるよね?(笑)

端的に言うと、ナイトウィザードというゲーム形式が、一つの枠(縛り)となり、
PCの行動に制限が加えられるられることもあるということです。旧来のTRPGと比較して、ですが。
旧来のゲームはシステム内にゲーム進行に関してそれをルールに規定することすら在りませんでした。
自分の記憶が確かならば、天羅万象などのプレイングによってルールがその有利さを加速するという
ものが出てきた頃にその萌芽が伺えます。


FEARのTRPGはシステムの段階から、「ゲームをしている事」を認識させます。
これは一つの例ですが、オープニングがあってリサーチがあってクライマックス。
その中でどう楽しむかということが予め規定されているのです。
●●さんか誰かが「クライマックスの後にもう一回クライマックスがあっても困る」みたいなことをいっていましたが、
これもシステムによってシナリオの展開や、PCの行動が制限というが限定されている例だと思います。
だがしかしそれを否定するつもりはありません。
ゲーム進行の明確化により、「面白さの抽出・純化」を行った結果の進化、それがナイトウィザードというゲームなワケです。
むしろその形式が故に面白くなる可能性(むしろそうするためにナイトウィザードは進化してきている)が在ります。


これは余談になりますが、GMという人種は、PCはマスタの意図に踊らされていることにも気付かずに
彼らの自由意志で物語が展開していると思わせながら最後までプレイを終えることを夢想する人種なんです。
それこそゲームをしていることすら忘れさせるような。
そのためにはシステムにシナリオ展開まで縛られたくねーよとか考えちゃうんです。(はいこれがGMのエゴ)
身の丈を弁えぬ愚かなプライドですが。
これは▲▲さんも白紙のシナリオでPCを動かせることこそ至上という風なこといってましたね。
(そしてそれは奇跡のような事象とも)
例を挙げると、小説を「読んでいる」と感じさせるか、小説の「中にいる」と感じさせるかの違いとでも言いましょうか。


TRPGには必ずGMが必要です。
そしてGMができる人間はそう多くありませんでした。かつては。
システムがシナリオの流れを規定しないが故のGM・PCともにシナリオの展開が不規則であったために、GMを行うというのは一つの壁でした。
この問題がかつての1990年代後半のTRPG冬の時代をもたらした原因の一つとも考えています。
しかしながらFEARのTRPGGMがなるべくゲーム展開をしやすいよう、PCが物語の盛り上がりどころが分かりやすいよう、
ゲームシステムにシナリオの流れというものを組み込んだのです。
これは大変評価できることです。だれしもがGMができる可能性というものを広げたのですから。
ひいてはTRPGをするという場の広がりをもたらす意義のある試みと認識しています。