さばにょとコミティアのうちあわせ

といいつつ世界樹の迷宮仮面ライダー電王談義。


「ゲーム内での死は取り返しのつくものであるが、妄想の中でのキャラクタの死は絶対的なものである。」
ゲームシステム上の死の扱い方と、妄想のなかでの扱いは重さが異なるよねという。
ホイホイと死が打ち消される環境において、死は意味を持たなくなるゆえに、小説版ではカドルトは成功しない。


「ゲーム画面では一様に背景が見えているが、心の中ではワイヤーフレーム。状況によってその姿を変えて、眼に写っている」
実際ですね、スノードリフト戦はもう吹雪吹雪氷世界ーと井上陽水もびっくりなくらいに雪景色と言う状況を頭に浮かべて戦ってましたので。
なんか吹雪に紛れてスノードリフトが音もなく姿を消しちゃったりするんですよ。俺妄想では!そんなスキル、奴は持ってないんですけどね!
コレが話に上がったときはうれしかったなあ。ああコイツもちゃんと世界樹たのしんでんなってのがわかって。


「前衛しか攻撃しない敵は、敵が後衛を攻撃していないのではなく、前衛が守っているが故の結果と考えると燃えるよな。つーかそういうもんだよな!」
そして苦しいときこそニヤリと笑う前衛組燃え。


パラディンの立ち位置はとてもオイシイ」
剣と盾という存在。たとえ剣を携えた腕を斬り落とされても、盾をしっかと構え、己が本分たる仲間を護る姿勢を崩さないパラディンとか超燃える。


などの共通見解が得られてとても満足している。
電王はまじめに話してた部分もあるけど、良太郎とモモタロス萌へ〜な展開に。
いやでも、良太郎がちゃんと良太郎として存在している作品であるなという話にはなって。
龍騎みたいなキャラ立ちだけではない(アレはアレで面白かったですが固定された役割ゆえ、変化が起こりにくい)、
良太郎の二面性ゆえ、その言葉、行動としてちゃんと作品を動かしていることの素晴らしさがあるという。
あと、良太郎とモモタロスの関係にはうしおととらに感じ入る部分とかあるよなーとか「ごめんなさいは?」のあたりとか、みたいな与太話。

あれ…打ち合わせ全然してねーじゃん。