わんことくらそう感想

わんことくらそう」終わりました。Graphic Collectedは95%ですが。

以下、もーネタバレ。すげーネタバレ。終わってない人が見ても知りません。


個人的には傑作。
しかし、テレビ版リリカルなのは以降から入った人からすれば結構な衝撃作でもあるんじゃないですかねー。


まず作品の倫理観が、通常我々の住む世界とは大きく異なります。もはやSFかファンタジー
都築真紀は同人誌では結構、倫理観ギリギリな作品出してましたけど(「T.A.」とか「Transaction_One」とか)、商業でやってくるとは思いませんでした。
特殊な設定でストレートな作品もいっぱいあるんですけどね(名作「NAKED MIND」とか)。


この作品の徹底しているところは、外見は人間であるが、その精神性は紛れもなくペットであるというところ。
良くある犬耳ものは、精神性は人間であるが、外見に犬耳をつけただけというある意味安易なものでありますが、この作品は徹底してペットはペット。
この設定が根底にあるので、クゥの発情期の処理の際に隣室に子供(かなちゃん)がいても平然とその「処理」をするし、また、かなちゃんもそのことを当然のように受け入れる。もう前提からして違う倫理観で動いている世界なんですね。

でも、ペットにも意思や心はあるわけで、それが一部ではありますが、ちゃんと「言葉」でコミュニケーションを取ることが出来る一つの生命なんですよね。この辺の曖昧な境界がまた、意志を持つ生命に対する付き合い方がより人間に近くなるわけで(でも人間と同一ではない、単純な例であれば飼い主とペットの間で了承されている主従関係)ペットとの距離がより近い世界であるとつくづく思わされるわけです。


同人誌掲載作の「Transaction_One」では人間そのまんまのクローン(といっても寿命はごく短い)が、ペットや奴隷扱いにされちゃう話なんで、この作品のペットという位置づけにしてしまうことで落としどころを付けたってのは、うまくやってんなーと思うところでもあるんですが、前述の部分も含めて色んなところで違和感出してますよね。この違和感が、「この作品はちょっとちゃうんすよー」と言うことで、作品世界の下地を作って行くことで、後々の諸処の事柄が受け入れられやすくなっていると思います。


しっかし、よくやったなー、英断だと思います。
ペットをモノとして扱うだけなら幾らでもできたんだけど、これは作品を見る者と自分自身の作品に対して真摯な姿勢だよなー。
こういう姿勢だからこそ、何が来ても受け入れられるんですが。


しかしながら、恋愛観にしても普通ではないところがこの作品の衝撃作なところでもあるわけで。
祐一はその生い立ちの所為から、愛というものに対して幻想であると考えている節があり、最後までそのスタンスは「あまり」変わらないんですが、初めは自分の生活に、美味い(かどうかはアレだが体に良い)飯をつくる面白い同居人が増えたとか、成り行きで不承不承ではあったがペットを飼うことになったとか、巻き込まれ型の展開で、彼自身がその状況を強く望んだ訳ではないんですけど、ゆっくりとそれが失いたくないものになってゆくという展開で。


まー、外で喰った飯が不味かったとか要因はいろいろあるんですけど、何気なく過ごしていた時間が、ふとした切っ掛けで、かけがえないものであったことに気づくこの展開はとても巧い。それを愛というのかは人それぞれなんですが、自分の印象としてはちょっと違うかなって。
利害関係も入りつつーの、でもそれを無視して求める部分もありーのみたいな。依存でもない協力関係みたいな。うあーうまくいえねー。


祐一には愛が解らない。自分が愛から見放された者だから。でも、生きてゆくという中でどうにでもその暮らしを心地よいものにしてゆきたい、平穏な暮らしが欲しいという欲求に関してはとても強いんですよね。それは、プロローグでみかんと里沙がうまくいっていない時にも彼が吐露する『「事態がうまくいっていない」事への憤り』は、彼の防衛行動の一種ではあるとは思うんですが、平穏な生活への希求心の表れであると解しました。今までの自分の居場所を作る方法はケイちゃんなどのごく親しい人間の「手助け」はあったでしょうが、基本的には自分の力で模索し確立してきたものであると思います。

しかし彼は作中にて、「一人だけの力じゃなくても心地よい暮らしってのはできるのでは?」と思い立ち、まぁ一番それを端的に表してるのが、里沙の「足りないものを補いあって、なんとかうまいことやっていけそうな気がするッス」の台詞だと思うんですけど。自分の生きてゆく世界を共にする仲間みたいなかんじってゆーか。うーん、ここ言い表すのはムズカシイッス。しかしながら、此処がこの作品を評しにくい部分でもあり傑作たらしめている部分でもあります。


上記の件について、やはり、名言は里沙の「嫌いになっても消えない愛を……ちゃんと、お互いに刻めるように」という言葉でしょうか。
多くの人々が愛を得ようとするときに持ちたがる「愛は永遠である」という幻想へのアンチテーゼであり、逆にこれほどまでに強い思いと今と未来への覚悟の言葉はそうそうないでしょう。


あと、祐一、里沙、みかん、シルヴィアーナの距離感にも一言。
先日、テレビでペット特集みたいなのをしていて、全身で愛を注ぎ込む飼い主たちはペットを「家族」だって言ってたんですけど、その溺愛ぶりは、本当の家族よりも、ペットを優先しているかのように見え、それを見て同居人は『「家族」だったら、そんなに優しすぎないよ』と言ったんですね。
当作品では、祐一はみかんとの出会いの頃、美沙の死を理解させるために厳しい態度で臨み、共に一緒に暮らしてからはお互いを溺愛するわけでもなく、見守る程度の関係ではあるんですが、この時に厳しく、時に優しくという距離感こそまさに家族であるという感じで、同居人の発言に意を得たりと思ったりしました。
ああ、この作品のタイトルは「わんことくらそう」であり、わんこを飼う訳ではないんだな、と。


あと、捨てられた祐一とか、みかん誘拐などの、突然起こり来る世界の悪意とか、どうしようもないことってのは、都築作品に常に存在するファクター(それが見えやすいか見えにくいかの違いであって、必ず内包していると思います)なんですが、この「世の中そんな良いことばっかじゃねぇんだぜ?感」といいますか、世界の構成要素として無視してる作品が多い中、うまいバランス感覚だと思います。
もー、みかんが連れ去られたときは(薄々想定の中にはありましたが)マジで吐き気催したよ。


あと、他にも思ったことあるんですが、SSのネタにしたいんで、SS読んで貰いましょう。
祐一のモノローグしか出てきませんが(予定)


と、まー、うまく言えてるんだかよくわからない作品論的な話はこれくらいにしておいて、萌えもあるでよーなこの作品なんでいろいろと。


いやー、マジでこんなペット居たら欲しいよね。
でも、みかんもシルヴィも高級種らしいんだよなー。うーん。値段からしスカイラインのR32もしくはバリもんのRX-7買えちゃうくらいってのはなー。
うーん。どっかに野良でいいから居ませんかね。(非道え)


みかんかわいいよみかん。
もーエンディング前にSSでちょっと成長したみかんと祐一が語り合う話考えてたら、もーそのまんま来て「うしっ!」「やられたー!」みたいな。
大変満足。


シルヴィかわいいよシルヴィ。
甘えさかりの頃の、みかんがしっかり者になっていくさまも良かったけど、みかんが居なくなってからシルヴィが強くなっていくさまは見ててもー軽く涙が。
ホントにみかんシナリオ終盤はずっと泣きっぱ。


里沙おもしれえよ里沙。
いやー、すげー良い子だとおもいますよ。まーSSのネタにしようと思ったんですけど、言っちゃえ。
この子と祐一が一緒に暮らしたいと思ったのも、色んな意味で祐一が嘘つかなくて良くなったからだと思うんですよね。
祐一はその生き方から、色んな嘘をついてきたんだと思うんですよ、些細な嘘から、彼が望んだかはわかりませんが人を本当に貶める嘘まで。
シルヴィ身請けの時もその片鱗は見えるわけですが。
でも、里沙に対しては嘘つかなくていいってわかったのも、一緒に暮らそうかって思った要因だと思うんですよね。
というわけでSSはこんな話です。


虎太郎かわいいよ虎太郎。
もともとカタコトキャラなんで、俺のツボなんですが、「あんきはした!」のトコロで溶けた。俺の心が。
もーカイエといい仲になる辺りから俺のハートをズギューンと撃ち抜くかわいさ。
もー二人とも素直にならねーなーとみかんシナリオ時では考えてたので、大変満足です。


祐一のフェロモンが漢方薬とか謎の薬のせいだっつのはなんかガンスミスキャッツのメイみてーだな!


最初はエロおかずにも「なんでも新鮮」ゆうてる里沙も、おまけシナリオではスレてんなぁ、おい(笑)


通常の組み合わせとしては、祐一×里沙、祐一×撫子、カイエ×虎太郎ぐらいで、あとは祐一がペットの発情期を抑えると言う行動だったので、
ふっつーにエロく感じたのは、カイエ×虎太郎の組み合わせ。ふたりともいっぱいいっぱいでしかも純粋な生殖行為に近い交合とあって、すげーエロかったっすよ。


あと、カイエのひとりえっちみてて、「あーカイエでけーなー、さすがに星華ちゃんには無理だろ」(下世話ですまん)とか思ってたら、おまけでやってるしな。
「素股じゃねーのかよ!」ってお兄さん突っ込んじゃったよ。


この作品は変化球で言ったら消える魔球なみに変化球ですが、打てる人間には絶好球というよくわからないものですが、ハマれば新たな道程があなたにも開けるかも!